自己不一致の正体は…
自己不一致の正体は…
今回は、自分のこれまでの経験から、自己一致の図を書いてみました。
これをやってみて、正直、あんま自己一致してないな~と思ってしまいました。
元々、あまり地に足がついていなかったというか、自分の人生を生きている実感が薄かったというかなんですが。。。
そして自分が好きでやってると思っていた、あんなに熱狂していたことさえも、
こうやって振り返ってみるとそうでもなかったんだなあ。。。と
なんか悲しくなっちゃいますね(笑)
それで振り返ってみると、そもそものはじまりは自分の内から出てきた興味関心ではなかったと、人から与えられた興味関心もどきだったと気付きました。
内的動機づけと外的動機づけというやつですかね。。。
これは自分史てきには結構な大発見。
そうか、だからおかしかったのか、となんだか納得できてしまいました。
でもさ、みんな人間誰だって、あるていどは誰か(親)から与えられたレールの中で生きていくわけじゃないですか
個人差はあれど
そこがどうやって自我と合致していくのか、自己一致していくのか、
ちょっと不思議に思いました。
完全な自己一致、ひとつの円になるというのはもちろん猿レベルの話になってしまうと思いますが。。。
はい、話は自己不一致に戻り。
私は外側から与えられたものを自分の関心だと思って生きてきてしまった、そのためにずっと自己不一致が起きていた、と分かりましたが
これが起きてしまった根本的な原因はなんだろうか、と考えた時、
それは“自分が無かったから”じゃないかと思いました。
自分が無いから、他人に依存する、他人の意見に従う、振り回される。。。
頑張っても頑張っても、心がすり減っていくだけ。なぜか?
本当は、自分のために頑張っているのではないから。
つまりは、他人の関心のために自分を無くして頑張っているから。
私は加藤諦三先生にすっかりハマってしまったので、先生の言葉が身に沁みます(笑)
「私はどうしていつもこのような目にあわなくてはならないのですか?」という質問の答えは、「自分はこう生きよう」と考えることがなかったからである。
あー自分が無かったんだ。そうだ。と思いました。
はい、今日は悲しい話でした。。。 (笑)